学校案内|沿革と歴史

SCHOOL GUIDE

bn_ssh2

沿革と歴史

学校概要

 

本校は昭和37年4月、戦後のベビーブームによる生徒急増対策の一環として熊本城内二の丸に開校された。昭和43年東町に移転、同44年九州初の理数科、更に翌45年県下唯一の美術科を併設した。
その後、本校は県教育界に新風を吹き込み、活力ある学校として充実・発展の一途を辿ってきた。「自主積極・廉恥自尊・礼節協調」の三綱領を胸に本校を巣立った卒業生は2万5千人を超える。
自由闊達な校風の中で果敢な挑戦を続けたその成果は、部活動や進学面に顕著な実績として現れ、本校の名声は今や県下のみならず全国的に注目される学校として位置づけられている

『歴史記念碑五十周年概要』より 

本校の沿革

 


1962(昭和37年) 04月 熊本県立第二高等学校 二の丸に開校
1962(昭和37年) 04月 第1回入学式(普通科7学級384名)
1962(昭和37年) 10月 開校記念式典
1965(昭和40年) 03月 第1回卒業式
1968(昭和43年) 07月 旧校舎との決別式 東町の新校舎へ移転
1969(昭和44年) 03月 同窓会発会式
1969(昭和44年) 04月 理数科1学級併設
1970(昭和45年) 04月 美術科1学級併設
1972(昭和47年) 10月 創立10周年記念式典
1982(昭和57年) 10月 創立20周年記念式典
1988(昭和63年) 04月 全校一斉の早朝学習開始
1991(平成03年) 06月 米モンタナ州ビッグスカイ高校と姉妹校締結
1992(平成04年) 10月 創立30周年記念式典 初代校長広永政太郎先生胸像設置

1999(平成11年) 05月 新体育館落成式
2001(平成13年) 06月 全国総合文化祭囲碁個人優勝(3年連続) 全国高校囲碁選手権団体で全国制覇
2002(平成14年) 09月 創立40周年記念式典 三綱領三角柱設置
2003(平成15年) 04月 文科省SSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定(第1期3年間)
2003(平成15年) 10月 創立記念式典 創立記念日の制定(13日)
2006(平成18年) 04月 文科省SSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定(第2期5年間)
2007(平成19年) 10月 「朝の読書」大賞受賞(高校の部で朝読書日本一)
2011(平成23年) 04月 第50回入学式 文科省SSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定(第3期5年間)
2012(平成24年) 10月 創立50周年記念式典 歴史記念碑設置
2016(平成28年) 04月 熊本地震により被災
2019(令和元年) 10月 熊本地震復旧工事完成記念式典

 

開校

開校までの経緯

  • 【昭和35年9月12日】県議会で高校生徒急増対策(新設か学級増)発表
  • 【昭和36年12月5日】県議会で熊本城内の熊大医学部薬理教室跡に普通高校設立、校舎改修工事費の計上を発表
  • 【昭和37年1月13日】県教委、新設高校「熊本県立第二高等学校」として公示、学校長広永政太郎、教頭松田一吉、稲員仁郎・井上元二両教諭を開校準備委員に発令
  • 【昭和37年1月18日】開校準備事務所(第一高校内)を設置
  • 【昭和37年4月1日】開校
  • 【昭和37年4月11日】第1回入学式

「空から見た二の丸校舎」昭和37年3月

初代校長広永政太郎先生の回顧

最近ではプロジェクトチームを作り準備委員の発令も可なり余裕をみてある様ですが、私達の場合は二ヶ月半の余裕しかなく、僅か四人で凡ての準備体制を整えねばならず、校地となる城内二の丸は医大移転後数年放置されたままの草茫々の荒地で廃屋を前に途方にくれる思いもしましたが、翌二月には中学側の志望決定のための参考の学校巡り始まると云うのにこの始末、その困却振りも想像頂けると思います。〜略〜
 先ず事務職員を急ぎ発令して貰い、改めて第一高校の一室と後には図書館の一隅を借りて準備事務室を整え、全く紙一枚鉛筆一本ない完全ゼロからのスタート。校章や制服の制定、教育課程、教科書の選定、中学巡りのPR活動、報道機関への協力要請などなど準備委員の連日の八面六臂の活動と超繁忙の明け暮れ、その間に職員人事や新設校としての努力目標、校風の中核をなす建学精神の構想も練らねばなりません。〜略〜
 凡ゆる悪条件のただ中に七学級三百五十名でスタートしたわけですが、あのオンボロ校舎にも関わらず約三倍一千名の志願者が殺到したのには驚きました。同時に新設高校へ寄せる期待の大きさ、たとえ容れ物は貧弱でも中身で勝負と云う我等の決意が通じた思いで、益々責任の重大性に身の引き締まるのを覚えました。

『第二高等学校 二十年史』より

校名

「門札かけ」昭和37年4月11日

第二高校」の「二」は「二の丸」が由来にあらず。

校名決定にあたって二月一日の知名士懇談会の席上では、第一高校があるので第二高校が妥当と教育委員長が説明されているが、教育委員会としても名称決定にあたっては慎重に審議されたのである。第二高校の設立された場所は、200年前細川重賢公が細川藩の藩校「時習館」を開かれた由緒ある跡地でもあり「時習館高校」との意見もあった。また「城内高校」「銀杏高校」等の名称も候補にあがったのであるが、南九州財務局との借用契約が6ヶ年で、いつまで城内の地にいられるかわからず「第二高校」となった次第である。

『第二高等学校 二十年史』より

初代校長 広永政太郎先生

先生は、高度成長期の昭和三十七年一月、生徒急増対策の一環として、県立高校としては、五十年ぶりに新設されることになった「熊本県立第二高等学校」の初代校長となられた。その後、二の丸旧兵舎の荒廃した校舎整備、昭和四十三年には、現在地への学校移転に伴う校舎建設等、教育環境の整備充実に心血を注がれた。更に、本校教育の三綱領「自主積極・廉恥自尊・礼節協調」を制定し、九年三月にわたって調和のとれた青少年の育成と、本校発展に心を砕かれ、今日県下最大の普通科、理数科、美術科を擁する大規模校の基礎を築かれた。先生の薫陶を仰いだ役五千名の教え子、そしてその流れを脈々と受け継いできた一万四千名の卒業生は今や各分野において全国各地で活躍し、その名声を天下に轟かせている。

『初代校長広永政太郎胸像碑文』より

 

 

 

生徒綱領

昭和37年7月9日、初代校長 広永政太郎先生の作である生徒綱領が正式に発表されました。そこに込められた思いは、10月13日に行われた開校記念式典の校長式辞に述べられています。

~生徒綱領に曰く
一、自主積極の気迫を以って一路研学に邁進し努力と忍耐のうちに自らを高めよう。
 積極進取以って学を修め倦むことなき自主的な努力と忍耐の成果の上に良き社会人としての資質を養い、高き理想のに青年の意気を燃し、安価な妥協、瑣末なる打算を捨てて、若人らしい瑞々しさとを失わず、感激性と気迫に満ちつつ自己研鑚に主体性を確立して欲しいものであります。
一、恥を知る自尊の心を失わず、健康明朗にして心身共に清潔で品位ある生活を続けよう。
 民主主義の根本は人間尊重の精神でありますが、真の民主社会の実現は結局各個人の立派さ、個人の人間完成が前提であります。この意味で自己を大切に、自己に誇りをもつこと、かけ替えなき存在として自己を正しく守り価値あらしめる努力こそ向上への道であり、廉恥の心を強調する所以もここにあります。バックボーンを失わず、質実と剛毅の精神を培って風雪に堪えて花開く阿蘇のりんどうにも似た強さと表裏なき心の清潔さ、清純さとを求めて止みません。本校校章発想の由来も亦ここに存するのであります。戦後の社会に恥を知らぬ行為の氾濫を見るにつけ、廉恥の心、自己尊重の精神の喪失を嘆かざるを得ません。又大いにスポーツに汗を流し、明朗にして健康な精神を養い、鍛練以って持久に堪える強靭さを願うものでもあります。
一、自省を忘れず責任を重んじ、礼節協調のうちに平和で明るい学園を築こう。
 孤独自省の上に自らを高めつつ人格の中心たる責任感に徹し、礼節を尊び、互譲親和の温き雰囲気に包まれて、若き感激と友情の交錯が織りなす切磋琢磨のうちに明るい希望に満ちた学園が伸びやかに展開し、真に気持ちよい人間修業の緑地帯たらんことを念ずるものであります。~

『第二高等学校 二十年史』より

熊本二高新聞

昭和37年7月13日創刊、平成4年10月3日の創立30週年記念特集号(88号)をもって廃刊。
発行は新聞部で、開校間もない昭和37年7月に十余名の部員で発足。
4号まで発行の後、生徒会と新聞部が協同して「エコー」を発行。「熊本二高新聞」との二本立てで発行する方針で、主にクラブ活動や生徒会活動を伝えることが目的だったが、「生徒会の機関紙のようだ」、「二高にはちゃんと新聞部があるではないか」という反対意見により、2号で廃刊。そのため、「エコー創刊号」が「熊本二高新聞5号」、「エコー2号」が「熊本二高新聞6号」とされています。

mark@2x logo

〒862-0901 熊本県熊本市東区東町3-13-1
TEL:096-368-4125 FAX:096-365-5636

banner_bshs_f
banner_rindoukai_f
banner_jst_f
kkbrn_banner_f

〒862-0901 熊本県熊本市東区東町3-13-1 TEL:096-368-4125 FAX:096-365-5636